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こんにちは。まちゃです。

さっそくですが、今回の記事のテーマは、
「なぜ僕は『ステキな暮らし』を夢見て世界を旅しているのか。」
です。

長文になりそうなので、結論だけ、すごく簡単に言いますと、

僕の関心は、国際協力→グローバリゼーションへの疑問→ローカリゼーションと日本の農山村の暮らし
→世界のステキな暮らし→「自分の想うステキな暮らしを形にしたい!」という具合に移り変わってきた。
そして、それらは全てつながっていて、世の中への想いが根っこにある。

ということです。

これを書かないと、どうしてもこのブログを始められません。
自分自身の振り返りと記録、再確認のためにも。
自分の心の中にある想いを、言葉にするのはすごく難しいし、照れくさいですし、これを読むみなさんに
うまく伝わるかどうか不安もありますが、書いてみます。
もし良かったら、お付き合いください。


~~~~~~~~~~~~
話は、学生時代まで遡ります。

今から10年前、僕は東京の大学に通う大学1年生でした。

大学に入ったばかりのころは、中学生の時からやっていたストリートダンスが僕の生活の中心でした。
ダンスサークルに入っていて、ダンススクールにも通っていました。
僕は昔から、どういうわけか踊ることが大好きでした。

その一方で僕の頭の中にあったのは、「世界平和に貢献したい。世の中を良い方へ変えていきたい。」
という漠然とした想いです。そうした想いは、少年時代から今に至るまで、ずっと僕の心の奥にあります。
それは、小さいときから「最も尊い生き方とは、世のため、人のために生きることなんだよ。」と、
育てられてきた環境のせいもあるのかもしれません。

さて、大学1年も終わりの頃になると、それまでのダンス中心の学生生活が、なんだかとてつもなく虚しいものに感じてられてきました。
限られた大学生生活の4分の1が終わろうとしているのに、自分の内面は何も成長していなかったし、将来のビジョンや夢も何も見えていませんでした。

「このままではいけない!」と思い直し、私はダンスから少し距離を置き、自分がこれからの人生どう生きていきたいのか、真剣に考えるようになりました。

しかし、私の中には「世界平和に貢献したい。」という漠然とした想いはありましたが、「一体世界平和って何なのか?」「世の中を良い方へ変えるってどう変えるのよ?」「良い方向てどういう方向よ?」とわからないことだらけでした。

そんな私が最初に関心を持った分野は国際協力の分野でした。

世界平和に貢献する仕事といえば国連やNGOなどの国際協力の分野かな、と思ったからです。

そう思った私は、国際協力の仕事について調べたり、NGOの国際ボランティアなどに参加するようになりました。

ちなみに、その頃参加したNICEという国際ワークキャンプNGOで、後に僕の妻となる、はると出会いました。
といっても学生のときは、ただの友達で数回しか会ったことはありませんでしたが。

話を戻します。

さて、そんなことをしているうちに、私は国際協力について、次のような違和感を感じるようになりました。

国際協力といわれる分野において、
先進国は発展途上国に対して、先進国的な豊かさを一方的に押し付けてしまっている場合もあるのではないか。
しかし、果たしてその先進国の方は本当に豊かなのだろうか。
先進国にだって問題はたくさんある。
むしろ途上国と呼ばれる地域の方が優れていた部分もあるんじゃないか。
そもそも、国際協力って一部の特別な立場の人たちがやることじゃなくて、
もっと身近で、普通に生活している全ての人に関係していることなんじゃないのか。

もちろん地域の文化や自立性を大切にした国際協力もあると思いますが、
グローバリズムを前提とした国際協力のあり方や、グローバリゼーションという大きな流れそのものに対して、
私は疑問を持つようになりました。

「今のグローバリゼーションが当たり前のように進めば、
世界はどうなっちゃうんだろうか?」
「もっと別の豊かさを持った世界のあり方が考えられないだろうか?」

そんな疑問が自分の中でもやもやとしていました。

それについてすっきりした答えがでないまま、時は大学3年の後半になっていました。
周りでは就職活動が始まり、あわただしい雰囲気です。
僕も最初のうちは、いくつか会社説明会に行ったりしてみましたが、
どうもしっくりきません。

それよりも、「グローバリゼーションとは違う世の中のあり方が考えられないか」、
僕の頭の中はそれでいっぱいでした。

それっきり僕は就職活動はほとんどしなくなり、自分の疑問に集中することにしました。
すっきりしないまま、なんとなく周りに流されて就職活動しても仕方ないと思ったからです。

そしてその頃、僕は日本の農山村の暮らしに関心を持ち始めていました。

グローバリゼーション的な豊かさではない、本当の豊かさのヒントが農山村の暮らしに
あるのではないか、と思ったからです。

農山村の暮らしに興味を持ったきっかけは、先述した国際ワークキャンプNGO・NICE
での経験でした。

僕は、大学2年と3年の夏に新潟県の佐渡島で行われた国際ワークキャンプに参加していました。
それは、日本と海外からの学生が共に共同キャンプ生活をしながら、佐渡で行われる音楽フェスや地域の祭り、
里山保全活動などに参加する、国際交流プログラムでした。

そこで、僕は初めて日本の農山村の暮らしと出会い、一種のカルチャーショックを受けました。
僕が生まれ育った街は、神奈川県鎌倉市です。
海も山も近くて、自然を身近に感じられる土地ではありますが、暮らしは都会的です。

佐渡では、自分の街とは違う暮らしがありました。
地域で出会う人たちは、自分で食べる野菜や米を作り、船に乗って漁にも行きます。
そのへんのおばあちゃんに道を尋ねれば、「持っていくかい。」と段ボール箱いっぱいの野菜をくれました。
お世話になっていた博物館の館長は、「これ獲ったから、食べな。」とこれまた大量のサザエを持ってきてくれたりしました。

こうやって暮らしている人たちが、同じ日本にいる、ということが驚きでした。
自然とのつながりや地域とのつながり、必要なものは自分で作る自給の力が
多く残されていると感じました。
しかも、こうした地域では仕事が無く、若者が住まなくなって人が減っている、という。
一体、農山村の暮らし、現実とはどういうものなのか。

また、同じころ、僕が出会い、影響を強く受けた考え方が、ローカリゼーションという考え方です。
あるとき、僕は知人に誘われて、東京の明治学院大学で行われたある講演会に参加しました。
それはヘレナ・ノーバッグホッジさんという方の講演会でした。

ヘレナさんはインドのラダック地方での経験を基にして、「懐かしい未来」という本を著された方です。

「懐かしい未来」の中では、グローバリゼーションによって、それまで自給的で自立した生活を送っていたラダックの人々の暮らし
がどのように変わっていったか、ということが書かれています。

ヘレナさんのお話は、自分にとって、とても共感できる内容でした。
それまで自分の中にあったグローバリゼーションへの違和感を言い当ててもらったような感じでした。

講演の中で、ヘレナさんはグローバリゼーションの問題を指摘した上で、それに対する動きとして
ローカリゼーションという考え方を話してくれました。

ローカリゼーションとは、ローカル化、つまり、ローカルでできることはローカルでやる、ということ。

たとえば、食のローカル化といえば、
自分で食べるものは自分でつくる、とか。
できるだけ地域でとれたものを食べるとか。

ローカル化は食以外にも、エネルギーのローカル化、金融のローカル化、などなどあらゆる分野で考えられます。

ローカリゼーションとは、グローバリゼーションによって切り離されてきたあらゆるものとのつながりを取り戻すこと。
自然とのつながり、地域とのつながり、自分とのつながりを取り戻していくこと。

そして、このローカリゼーションの動きが、今、世界中で
少しずつ起こり始めている、という話も、僕をワクワクさせてくれました。

ヘレナさんの講演で、このローカリゼーションという考え方と出会い、
確かにそういう方向に本当の人間らしい豊かさへのヒントがあるのかもしれない、と僕は思うようになりました。人や文化の交流がグローバルに広がっていくのは良いことだけれど、かといって何でもかんでもグローバル化すると、色々おかしくなっちゃうんじゃないか、と。


大学4年になり、周りがだんだんと就職を決めていく中で、
僕は実際に農山村で暮らしみたいという気持ちになっていました。
自給的・自立的な暮らし方が日本の農山村にどれだけ残っているのか、
、どんな現実が起こっているのか、自分で経験して確かめてみたかったのです。
ヘレナさんの話にも背中を押され、僕の農山村行きの気持ちは
固まっていました。

それから僕は、どうしたら農山村へ行けるか、その方法を探していました。
色々な方法を検討しましたが、これだという道が見つからないまま、大学4年も終わりに近づいていました。

そんな時、当時僕がインターンをしていた山梨県のとある地域づくりNPOで、「これ良さそうですよ。」
と、あるプログラムを教えてもらいました。

それは、緑のふるさと協力隊、というもの。
東京に事務所がある、地球緑化センターというNGOがやっているプログラムで、
簡単に言えば、青年海外協力隊の国内農山村版といった感じ。

都会出身の若者を1年間、日本の農山村に送り込んで、地域で暮らしてもらう。
そして、地域の農林業や地域活動、様々な仕事を経験させる。
そうして、農山村で暮らす人々、都会の若者、お互いの気づきや変化につながるかもしれない。。
というようなプログラムでした。

詳しく調べてみると、生活費は月5万円。車と住居は提供されて、光熱費や車のガソリン代などは負担してもらえる、とのこと。
地域の中で、お金に頼らない暮らしを学びたかった自分には、ぴったりのプログラムでした。

「これだ!」と思い、さっそく参加志望書を送り、面接を経て、晴れて参加が決定しました。
大学卒業の1ヶ月ちょい前のことでした。

僕の選んだ道について、親はとても心配していましたが、最終的には応援してくれました。

そうして大学卒業後の春から1年間、僕の農山村での暮らしが始まるわけでありました。


とまだ話は続きますが、ひとまず今回はここまでにします。
ここまで全部読んでくれた方、ありがとうございます!

次回『なぜ「ステキに暮らしたい」のか~夫まちゃの場合(後編)』へ続きます。


byまちゃ
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