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(記事)2014年5月末 マレーシア ボルネオ島サラワク州パカン チャボロングハウス

こんにちは、まちゃです。

2014年の5月末から滞在したマレーシアのイバン族のところで、僕は生まれて初めて、豚の屠殺を経験しました。
といっても実際に手を下したのはイバン族のおじちゃんで、僕は暴れる豚の足を押さえていただけですが。
しかし、それでもこの経験は自分にとってかなり大きいものでした。

以前モンゴルに行ったとき、羊の屠殺を見たことはありましたが、そのときは刃物は使わず、手で血管を押さえて静かに絞め殺すような感じで(記憶があいまいですが・・・)、あまり羊を屠殺したという実感がありませんでした。

今回はもっと見た目にもショッキングな屠殺でした。暴れる豚の足を大人の男何人かで押さえておいて、一人が大きな刃物で泣き叫ぶ豚の首を切断するのです。
喉を切られた瞬間、あんなに泣き叫んでいた豚の大きな声がかき消され、血が噴出し、首が体から離れた後も、しばらく豚の体はバタバタ動き続けていました。
命を奪ったという実感が、羊の屠殺を見たときよりもずっとリアルに迫ってきました。

バビ屠殺前
屠殺直前。このあと大きなナイフで首を切り落とします。

かなり衝撃的でした。
そのせいか、その夜は久々に悪酔しました。悪酔いして、床に寝転びながら、豚の首が切られた光景を思い出し、「バビー!バビー(イバン語で豚の意)!」と僕は泣き叫んでいた気がします。

イバン族の人にとっては、自分たちで食べる豚を自分たちで育てて、自分たちで殺して、食べるのは当たり前のことです。
殺した後は、豚の体全部を無駄なく戴きます。
日本の都会で生まれ育った自分にとっては、そういうことは全く当たり前ではありませんでした。
肉はスーパーや肉屋で、食肉として食べやすく切られてパックされたものを目にするだけです。
どのように育てられたか、どのように屠られたかも知らずに、その肉を食べるのが普通です。
そもそも、その肉が、もともと生きた動物であったということに思いが向かうことすらなくなっている気がします。
そうしたことに対する思いや疑問は、もともと自分の中にはありましたが、ここでの屠殺での経験はそんな思いをより強めました。

バビ切り分け中
慣れた手つきで肉を切り分けていく。毎日のようにこの肉を食べていました。

インド独立の父マハトマ・ガンジーは、殺されるのを嫌がる生き物は食べない、という徹底的な菜食主義者だったといいます。
でも僕の場合は、肉が好きだし、今までもこれからも、牛や豚や鳥の肉を食べ続けるだろうと思います。
ただ、自分が食べている肉がどんな風に育てられて、どんな風に屠られたのか、そういうことが見えなくなったら、健全じゃない気がします。
自分が食べるもののことを、もっとよく知っていたい。
自分で食べる動物を自分で絞めるってのが、本来自然なあり方なんだよなぁと思います。
いつか自分でイノシシ猟などをしてみたいという思いが以前はあったのですが、今の自分にはちょっと難しいかもと思いました。
それぐらい豚の屠殺がショッキングだったので。
でもいつか自分で飼っている鶏を自分で絞めて食べたりできるようになりたい。
そういうことが本当の生きる力だと思うから。

ということで、命を戴く、ということについて、とても考えさせられたマレーシア・イバン族の村での経験でした。

まちゃ
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(記事)2014年5月末 マレーシア ボルネオ島サラワク州パカン チャボロングハウス

こんにちは、はるです。
今日は第二の故郷、マレーシアのボルネオ島、サラワク州に暮らす先住民イバン族の家族のもとに郷帰りしたお話です。
アップするまでかーーなーーーーり時間がかかってしまいました。思い入れが強すぎると、なかなか記事にしにくいなぁ。

ここは2006年に学生のときにワークキャンプでお世話になって以来、何度も訪れているわたしにとって大切な場所。前回の訪問が確か2012年だったので、今回(2014年5月)は2年ぶりの郷帰りでした。

今回はなんといっても夫まちゃを連れての郷帰り。毎回帰るたびに、「ジャナッ、結婚はいつ?」「相手がいないならこっちで探せ!」「ここに嫁げ!!」と冗談なのか本気なのかわからない猛攻撃にあっていたわたし。いやいや、そのうち相手を連れてきてちゃんと紹介するから・・・って話していたのがやっと念願叶って達成したのでした。
(ジャナッ:Janatというのは、ホストファミリーにもらったわたしのイバン名です。)

いつもロングハウスを訪れる際は事前に誰かに連絡をとって、ロングハウスから2時間くらいのサリケイという町まで迎えにきてもらっていました。でも、今回は自力でロングハウスまで帰ることに。迎えにきてもらってもよかったけど、予定は未定でいつ着くかわからないし、一度は自分の足だけで帰ってみたいという思いもあったので。
まずは、ベトナムはハノイからフライトでマレーシアの首都クアラルンプールへ飛んで、クアラルンプールで飛行機を乗り換え、ボルネオ島のシブまで。そこからサリケイという町を経由して、パカンという最寄りの小さな町までローカルバスで。その先はロングハウスまでヒッチハイク。ヒッチといってもその辺にたむろしていた若者たちがすぐに車に乗せてくれたので、無事に我が家チャボロングハウスに辿り着くことができました。

こうやって書くとなかなか遠い道のりのように感じますが、はじめて訪れたときはもっともっと時間も労力もかかり大変でした。今でこそ地方都市にも空港ができ便利になったけど、当時は州都クチンからスピードボートに乗ってサリケイまで川を遡ること数時間。サリケイからロングハウスまで未舗装のでこぼこ道をぎゅうぎゅう詰めのバンに揺られて3時間、車酔いに耐えながらへとへとになってようやく辿り着いたものでした。雨季で豪雨が続いたときは、道がふさがり車では通れないから、重たいバックパックをかついでジャングルの中、ぬかるみの道なき道を黙々と歩いたもの。近くに空港ができて、道もアスファルトで舗装され、車もたくさん走っているおかげで楽々とロングハウスまで辿り着くことができた今回。便利になった反面、拓かれたジャングル、固められた大地のことを思うとなんとも複雑な気分になっちゃいました。

ロングハウス
ロングハウス 長い家だと、全長100メートル以上にもなる

イバン族はロングハウスといわれるひとつの長屋で数家族から数十家族が共に暮らしています。このチャボロングハウスは14家族から成るロングハウス。2006年にはじめて訪問したときも過疎化(若年層は勉学のため+労働世代は仕事のため村を離れて町へ)が既に進んでいましたが、現在も過疎は進行中。2006年当時まだまだやんちゃな小学生だった子供たちも、一緒にワークをしてくだらない冗談で一日笑い転げていた10代、20代だった若者たちも、現在はロングハウスを離れて都市で生活を送っています。
サラワク州に住む約50万人の先住民イバン族。今では狩猟・採集が主な伝統的な生活を送っている人は少なく、完全に都市部に暮らしを移している家族も多いようです。

今回の訪問は年に一度の一大イベント、「ガワイ」といわれるイバン族の収穫祭に合わせたもの。ガワイは日本でいうお正月みたいな行事で、遠く家を離れている家族みんなが帰省して一家全員、ロングハウス全員が勢ぞろいします。みんながそろうのは一年に一度このガワイのときくらいなのですが、残念ながらこの年はロングハウスの家族の中で不幸があったため、お祭り騒ぎは自粛。そのため、帰省する家族も少なく、久しぶりに再会できると思っていた若者たちには会えずじまいで少し寂しい郷帰りとなりました。
それでも、到着すると「どうやって来たの??」と驚くおばあちゃん、「来るの知ってたよ」って笑うお隣さん、「この人ダンナさん?!シガーッッ!!(カッコいい!)」っておちょくってくるチビッコたち。何といっても変わらないこのにぎやかさと久しぶりに会えた面々にすでにハッピーなわたしでした。とは対照的に、夫まちゃはみんなに囲まれ少々戸惑い気味なのでした(笑)

到着時はわたしのホストファミリーは畑仕事に出ていて不在でした。お隣さん家族に促されるまま、勝手に家に上がりこんで、お決まりの甘い甘いミルクティでひとまずホッと一息。そうするうちに、畑から帰ってきたインダイ(お母さん)とアパイ(お父さん)、部屋にいるわたしたち二人を見て驚きながらも発した第一声は「ジャナーッッ!!ウダ マカイ?(ご飯食べた?)」のいつも変わらない挨拶。久しぶりに帰ってきたにもかかわらず、まったく違和感ないこの感じ。いや、予想してた通り、か(笑)。
あぁ、ようやく帰って来れたなぁ~。ただいま、みんな。
アク ラパール、アク マウ マカイ。お腹へったよ、ご飯食べたい!

スンガイ キレイ
ロングハウスの前を流れるジュラウ川

というわけで、第二の故郷マレーシア イバン族のロングハウスへの郷帰りステイ滞在記。
ロングハウスでの生活、呑んだくれ祭ガワイの様子、など数回に分けて書いていきたいと思います。
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