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<記事>2015年12月 アメリカ合衆国 アリゾナ州 グランドサークル
<現在地>ミャンマー ニャウンシュエ

こんにちは、まちゃです。

昨日まで、カローという町から、今いるニャウンシュエというインレー湖畔の町へのトレッキングをしていました。
2泊3日で65kmのトレッキングです。
トレッキング中は、リアルな秘境の暮らしが垣間見れて、大満足。
それにしても、かなりいいです、ミャンマー。
この国を歩いていると、僕も見たことが無い、昔々の日本に来ているような感覚に陥ります。
ミャンマーについての記事は、また別の機会に改めて書こうと思いますが、僕の中では、ミャンマーは東南アジアの中でも一番好きな国になりました。

さて今回の記事の舞台は、引き続きアリゾナです。
雪も降り積もる真冬のアリゾナで、連日の極寒キャンプを経験した時のお話。

ナバホ族のファミリーの家でホームステイをしたあと、僕たちは1週間かけて、レンタカーでグランドサークルを回りました。
グランドサークルとは、アリゾナ州レイクパウエルを中心とする半径230kmの範囲内に、8つの国立公園と、多くの自然・文化公園が存在しているエリアのこと。
僕たちはそのエリア内の中でも、セドナ、グランドキャニオン、モニュメントバレーの3つのスポットに、それぞれ2泊ずつ泊まって、じっくり見て回ることにしました。

お金を節約したい!というのと自然をまるごと満喫したい!ということで、グランドサークルドライブ旅では、泊まりは全てキャンプ泊をしようと決めていました。
時は12月の中頃で、アリゾナは冬真っ只中。
行く前にも、ネットでグランドサークルのキャンプ泊情報を探してみたのですが、出てくる情報は、ほとんど夏の情報ばかり。
冬にはキャンプ場は閉まるところも多いらしく、冬にキャンプして回ってる人の情報は全然出てこない。
自分達だけでキャンプするのも、初めてだったし、わからないことだらけの挑戦でした。

で、実際やってみてどうだったか。
結論から言うと、僕たちは、1週間全てキャンプ泊だけで乗り切ることに成功しました。

めちゃめちゃ寒かった!もう人生で一番寒い経験でした。
でも僕たちは、この経験でアウトドア活動の魅力に完全に目覚めました。
アウトドアほぼ素人だったけど、あれほど寒いキャンプを経験してからは、もう大抵のとこでなら楽々キャンプできるんじゃないかと自負しています。

さて、グランドサークルドライブ旅の最初に僕たちが向かったのは、セドナという場所。
ここはパワースポットとして有名。
あちこちに地球のエネルギーが渦のように噴出している場所があるとされていて、その場所はボルテックスと呼ばれています。

カセドラルロック
四大ボルテックスの一つカテドラルロック。

ボルテックス
ボルテックスでよく見られる、ねじれている木。噴出してる強い地球のエネルギーでこうなっちゃうんだとか。

さて、セドナに着いてから、さっそく町のビジターセンターで、キャンプ場について聞いてみたところ、セドナの町のなかにあるキャンプ場は、冬の間は全て閉まっているとのこと。
「まじかぁ、やっぱり真冬のアリゾナでキャンプなんて無謀なのかなぁ。」とビビリつつも、「隣町のキャンプ場なら唯一、冬でも開いている。」とのことなので、そっちへ行ってみることに。

無事キャンプ場にたどり着いたけど、時間が遅くて、薪売り場も閉まっていたので、火は焚けず。
キャンプしている人はほぼ皆無。
キャンピングカーで泊まっている?住んでいる?人たちはいるようだけど、ぼくたちは安いテントサイトでテントを張ることにしたので交流もなく。
寒すぎて何もすることができず、テントの中で買っておいた缶詰とかを冷たいまま食べて、すぐさま就寝。

・・・のはずが、
夜は寒さのあまり、数時間おきに目が覚める(笑)。
それでもなんとか朝を迎えることができたけど、よく見てみると、テントの中も、寝袋の表面も真っ白に凍ってました。
さて、「出発するか」とテントを片付けようとするけど、寒すぎて手が痛すぎて、テントに触れるのもしんどい。
手とか顔とか痛すぎて泣きそうになって、テントをほっぽりだして、車の中に閉じこもり、しばらく現実逃避する僕。

「いかんいかん!」と気を取り直して、再びテントの片付けに取り掛かろうとするものの、はぁやっぱ辛い!

ふと、横を見ると、なんと、はるが泣いているではありませんか。
ご、ごめん、俺が現実逃避していたせいか?
いや、それとも寒すぎて辛すぎて泣いているのかな?

と思っていると、今度ははるが笑いだした。
泣きながら、笑っている。
一体彼女の中で何が起こっているんだろうか?

と、あまりの寒さで精神的によくわからない状態になる二人でしたが(笑)、朝日の温もりに元気付けられながら、なんとか片づけを済ませキャンプ場をあとにしたのでした。



セドナの隣町で2泊したあと、僕たちはグランドキャニオンへ向かいました。
グランドキャニオンはセドナよりも寒いという情報。
行ってみるとセドナよりも雪が大分積もっていました。
でも、キャンプ場は一部だけ空いていて、テント泊してる人も意外といました。

テントwith雪
こんな感じでテント泊していた。ちょうど数日前に雪が降ったところだった。

ここでは、薪を買って、火を焚くことも出来ました。
で、思ったのが、やっぱり同じキャンプでも、火があるのとないのとでは、面白さが全然違う!
火をおこしながら、「あ、俺、キャンプ好きかも。いや、好きだわ。」とはっきりと確信しました。
火があれば暖かいご飯も食べられるし、暖をとれて心が安らぐし、焚き火の炎をみているのは全然あきない。
火がなかったら味気なくて、キャンプというか、ただの野宿とあまり変わらないですもんね。

あと、キャンプをしてみて気がついたのは、この旅を通して知らないうちにサバイバル能力が少しずつ上がっていたのかな~、ということ。
例えば、火のおこし方とか、直火でのご飯の炊き方とか、これまでの旅の中で身に着けてきた能力がこのキャンプ中にいかんなく発揮されていたように思う。
キャンプといっても、調理器具を一式揃えているわけではないので、空いた缶詰でご飯を炊いてみたり。
限られた薪を慎重に使いながら、いかに火を長くもたせられるか予想をつけて考えたり。
自分たちで考えて、工夫して、なんとかやっていく力も身についた。
もし、これまでの旅の経験がなかったら、今回のキャンプは自分たちだけでは乗り切れなかったかもなぁと思います。
旅は気付かぬうちに人を逞しくさせるものです。

空き缶ご飯
火があれば、ご飯も温かいおかずもデザートも食後のコーヒーも用意できる。火って素晴らしい。

火星的グランドキャニオン
グランドキャニオンはまるで地球じゃないみたいだった。だんだん目が慣れてきちゃったけど。

ちなみに一晩泊まってから知ったんだけど、その日のグランドキャニオンの夜の気温はマイナス10度くらいだったらしい。
あとで知って二人でびっくりした。
確かに、めちゃくちゃ寒かったもんなぁ。でも意外といけたなぁ、なんて。
でも、前もって知らなかったからこそ、乗り切れたのかもねぇ、と二人でしみじみ話していました。
もしマイナス10度って数字を知ってたら、余計しんどく感じて、「もう無理!!」ってなっていたかも。
いや、そもそもテント泊でキャンプなんて、早々に諦めてたかも。

今思えば、確かに朝ごはんでシリアルにミルクかけたら、注いだ瞬間にミルクが凍ってましたもんね。
パックから出てきた瞬間、シャリシャリに。あんなの初めて見たし。そりゃ寒いわな。

瞬間氷結ミルク
朝食にはシリアル。注ぐと凍るミルクと一緒に召し上がれ。

ということで、グランドキャニオンで2泊して、続くモニュメントバレーで泊まる頃には、もうすっかり、極寒キャンプに慣れていた僕たちなのでした。

モニュメントバレーです
モニュメントバレーもやっぱりすごかった。テント泊はもう慣れました。

この後、ハワイやオーストラリアやニュージーランドでも何度かキャンプをしたけど、アリゾナ極寒キャンプを経験したせいか、どんなところでも快適で平和なキャンプに感じることが多かった。テントや寝袋が凍らず眠れるというだけで、ものすごく快適だと感じる(笑)。

この旅でキャンプやアウトドアの面白さを知ったので、日本でもぜひ色んなところでキャンプしてみたいなぁと思っている。
日本ではテント泊してもいい場所ってかなり限られてるんだろうか。

あぁ、やりたいこといっぱい。

ではまた!

まちゃ
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<記事>2015年12月 アメリカ アリゾナ州ナバホネーション
<現在地>ミャンマー ピンウールィン

こんにちは、はるです。
高原の避暑地に来て、随分安定したわたしたち。
ミャンマーに何のために来たのかなー、なんて考えていたんですが、「何もしない」ことをするために来たのかな、とふと思いました。
シーズン真っ盛りなマンゴーが美味しすぎて、「そうか、ミャンマーにはマンゴー食べに来たんやな!」なんて言ったりして。
だいぶ平和です。だいぶ幸せです。

さてさて、今回はアメリカアリゾナ州でヒッチハイクにチャレンジしていたときのお話。
もう半年も前のことなのか~。時間が経つのはほんとに早いな~。

****   ****   ****

【「きっと大丈夫」。その直感を信じぬくことが大事。】
アメリカでは珍しくはないですが、旅行者は交通手段に悩まされることが多いです。
主要都市から都市へのバスは整備されているものの、街中での移動や、隣街への移動のための足が圧倒的に少ない。

3ヶ月間のアメリカ滞在のスタートは、アリゾナ州でナバホ族の家族のもとでホームステイをさせてもらう予定だったわたしたち。
ホスト宅への行き方を調べたものの、公共交通機関はありません。
バスで行ける最寄の街からホスト宅までの移動は、ホストに片道3-4時間の道のりを迎えにきてもらうか、自力で行くかのどちらか。
往復6時間超の道のりをわざわざ迎えに来てもらうのは気が引けるので、わたしたちは自力で行く道を選びました。

自力というのは、つまり、ヒッチハイク。
アジアや日本では、何度かしたことはあるヒッチハイク。
でもこの旅の中で、本格的な長距離ヒッチハイクをするのははじめてです。
はじめてのアメリカ。しかも、真冬の寒空の下。
どうなるかわからないけど、決めたからには、とりあえずやってみるしかない。
不安を抱えながら、夜明けを待って、さっそくヒッチハイクにチャレンジしてみました。

to page
スケッチブックに行き先を書いて掲げる。慣れるまでちょっと恥ずかしい・・・。

はじめに立ったポイントは、ハイウェイ沿い。車がびゅんびゅん走っている、交通量の多い道です。
持っていたスケッチブックに大きく行き先を書いて掲げます。

何台かはスピードを落として、スケッチブックを見たり、笑顔を向けてくれたりしたものの、車は一向に止まってくれません。
悲しいことに、中指を突き立てたり、
ブーイングサインを浴びせてくる人もいて、かなり精神的にやられました。

ヒッチハイクをはじめて早4時間。
そんなに立ち続けていたのかた思うくらいの時間が経っていました。
朝からはじめたのに、もうお昼に。
まちゃは、顔に生気はなく、疲れ果てて、負のオーラを放ちまくっていました。

まちゃ「もう無理や~、無理やって~・・・。」
わたし「そんなこと言ってても、どうにもならへんで!」
まちゃ「しんどい~、寒いぃ~、もう嫌や~。」
わたし「うちだってしんどい!!そんな顔やったら、誰も止まってくれへんで!!」

そんな会話を幾度となく繰り返し、明らかに落ちているまちゃに渇をいれ続けるわたし。
どうなるのかという不安を抱えながら、まちゃに渇を入れると同時に、自分自身を励ましていました。

でも、そんな状況でも、わたしは不思議と前向きでした。
次の展開がどうなるかとワクワクもしていたのです。
こうなるだろうことは予想していたし、始めの1台さえつかまれば、そのあとはきっとうまくいく。
諦めたらおしまいだ。きっと誰かが
拾ってくれる。
そう信じて、ハイウェイ沿いに立ち続けたのです。

ハイウェイ89
ルート66より断然思い出深いハイウェイ89。

そんな時、一人の男性がまちゃのもとに来て、何か話をはじめました。
ロングヘアーに浅黒い肌、大きな目と大きなからだ。
みるからに、ネイティブを思わせる風貌の男性でした。

彼は、「ここでは一日中立ち続けていても誰もとまってくれないよ。ここからしばらく行った街の端なら、もっと簡単に止まってくれる。」
そういって、丁寧にヒッチハイクポイントを教えてくれました。
「夕方になるともっと寒くなるし、車も減る。でも、今からすぐに移動したら大丈夫だから心配しないで。グッドラック!!」
そういって笑顔で去っていった男性はナバホのおじさん。

おぉ!!なんてありがたい情報!ありがとう、ナバホのおじさん!
急に希望の光がみえてきました。
大急ぎで、彼に教えてもらった場所に移動し、改めてヒッチハイクを再開しました。
交通量は減ったものの、目的地に続く一本道。
さっきまでのハイウェイ沿いとは違って、通り過ぎるドライバーの視線も幾分柔らかく感じられる・・・。

望みを捨てず、ボードを掲げて立つこと30分ばかり。
ようやく一台の車が止まってくれました。わたしたちを拾ってくれたのはナバホの女性。
バンの荷台に乗せてくれて、目的地より二つ手前の町まで、1時間ほど乗せてもらうことができました。

お礼を言って、次のヒッチハイクに臨みます。
まだまだ先は長いぞ・・・と思っていたら、こちらがヒッチハイクを始める前に声をかけてくれたのは若い男性。
この男性もナバホの方でした。
「途中までになるけど・・・」と親切に申し出てくれ、家族が運転する車に乗せてくれました。

その後も、苦戦することなく声をかけてくれる人が現れて、最後には随分遠回りになるにも関わらず、わざわざ最終目的地まで送ってくれる方もいて、無事に目的地のホスト宅にたどりつくことができました。
なんとかなると思ってた通り、やっぱり最後はなんとかなった。

to page2
辺り一面赤い大地の絶景だけど、はじめはヒッチに必死で景色を楽しむ余裕もなかった・・・。

「なんとかなる」「きっと大丈夫」、そう感じる直感は不思議と外れることはありません。
根拠のないものなので、危ないといえば危ないんですが、いつも直感を信じるとうまくいくのです。
逆に、「んー、大丈夫かな?心配やな。」そう感じるときは、たいていの場合うまくいかない。
今回も直感を信じた結果、無事に目的地まで到着でき、優しい人たちに出会える貴重な経験ができました。

直感に敏感であること。直感を信じ抜くこと。
これって、自分が思っている以上に大切なことなんだと思います。


【純粋に人を思う気持ちが「優しさ」だと思う。優しい人は、どこででも、誰にでも、変わらず優しい。】
ヒッチハイクがこんなにスムーズにいくようになった一つの理由は、リザベーションというナバホ居留地に入っていたから。
リザベーション内ではヒッチハイクは日常的なことのようで、ナバホの人たちは当然のこととしてお互いに助け合っています。
わたしたちもヒッチハイクをしているときに、同じようにヒッチハイクをしているナバホの人を見かけることがありました。

ありがたいのは、ナバホの方たちはわたしたちのようなよそ者も変わりなく拾ってくれること。

わたしたちはホームステイ中も、時間がある日はヒッチハイクで近くの名所に出かけていました。
途中、普通に道を歩いて散歩しているだけでも、車を止めて声をかけてくれるナバホの方がたくさんいます。
水分補給のために道端で休憩していたときなんか、「大丈夫か??」と車から駆け下りてきてくれた方もいました。
ヒッチしていないのに、車が止まる。求める前に、向こうから手を差し出してくれる。

おそらく、ヒッチしているから「乗せてあげよう」と車を止めるのではなくて、そこに人がいるから「どうしたのかな」と反射的に車を止める。
色々と考える前に、先に体が動いている。純粋に人を思う気持ちからくる行動。そういう優しい行動を自然ととれる人たちなんだと思います。

ただ無条件に差し出される優しさ。
そんな優しさに触れて、すごく心が満たされたというか、救われたというか。
人を思う気持ちからくる見返りの無い純粋な優しさは、人を救う。
そんなことを学んだ経験でした。

ホースシューベンド
ヒッチで行ったホースシューベンド。拾ってくれたのは陽気なメキシコ人男性だった。

もう一つ学んだこと。
一度、ヒッチをしているときに、休暇で旅行しているというアメリカ人(ニューヨーク出身)のカップルに拾ってもらったことがありました。
ヒッチハイクで廻っていると言うと、「僕たちにはできないよ、アメリカ国内でヒッチするなんて考えたこともない」と大層驚かれました。

自分たちはヒッチなんてできない。そうは言いながらも、ヒッチハイカーのわたしたちを拾ってくれた優しいカップル。
「貴重な経験だね、よい旅を!」といって見送ってくれた二人はとても爽やかで温かくて、本当に失礼ながら、「親切なのはナバホの人たちだけじゃない」って思ったのです。

他にもわたしたちを拾ってくれた、メキシコ人の男性も、ポートランド出身の女性も、申し訳ないくらいとても親切にしてくれました。

ナバホのリザベーション内だから、ナバホの人たちだから、優しくしてくれる。
それって大きな思い違い。
優しい人はどこにでもいるし、本当に優しい人は、どこにいても、誰に対しても、変わりなく優しい。
わたしたちを拾ってくれた、あのドライバーたちのように。
わたしもそうありたい。どこにいても、誰に対しても、変わらずに優しい心で接することができる人でありたい。
人の温かい優しさに触れて、心からそう思ったのでした。

ホースシューベンド瞑想
目的地に着いた後は、ぼーっとして、人の優しさの余韻に浸っていた。

【目の前にいるその人を、「疑ってかかる」のではなく、「疑わない」からはじめたい。】
ヒッチハイクをしながら、ふと考えていたこと。
自分が車を運転している側として、身を置き換えてみたら・・・。

道端に誰だかわからない若者が立っていたら、はたして車を止めて声をかけるだろうか。
「止めようか、どうしようか」と迷っているうちに、さっと通り過ぎてしまうのでは。
そもそも、迷う前に「怪しい人かも」「自分には関係ない」って見てみぬふりしちゃうかも。

わたしたちの姿を見て、迷うことなく止まってくれる人たち、笑顔で話しかけてくれる人たちに出会って、人って知りもしない他人にこんなに優しくできるんだ、って驚きました。
素性の知れぬ旅人を、疑うことなく助けてくれる親切な人たちに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいになりました。

よく、「近づいてくる人は疑ってかかれ!」「知らない人には近づくな!」みたいなことを聞いたりするけれど、わたしはそうはありたくない。
自分の身を守ることは何より大事。
でも、相手を疑がってかかるよりも、敬遠するよりも、自分を守る方法は他にもあると思うのです。

思い出したのが、旅をしているとよくある現地の人との関わりについて。
「日本人か?どこから来た?」と突然やたらとフレンドリーに話しかけられると、「ん?何だこの人、ぼったくりに来たのか?」と身構えちゃったりします。
でも、会話を重ねていくうちに、その人はただ日本に興味があるだけだったり、観光客がめずらしくて話しかけてきただけだったり、ということがわかってきます。
(中には実際にぼったくろうとしてくる人ももちろんいるので、相手をみる必要はあるけれど)
話をしていく中で、時には家に招かれたり、ローカルな穴場を紹介されたり、と思いがけない面白い展開になっていって、忘れられない旅の思い出になることも。
それも「怪しい」と疑ってかかって、こちらからシャットアウトしてしまったらそこでおしまい。
何も関わりが生まれず、もったいないことになってしまいます。

知りもしない他人だからこそ「疑ってかかる」のではなくて、「疑わない」で関わってみる。
オープンな心で向き合う。まずはそのことからはじめたい。そう改めて思ったのでした。

.アンテロープキャニオン2
ヒッチで行ったアンテロープキャニオン。すごい景観だったけど、ヒッチの思い出の方が記憶に残っている。

【ヒッチハイクは最高の自己分析手段
やってみて、気付いたこと。
それは、ヒッチハイクは自己分析に最適だということ。
ヒッチハイクは、自分の弱さと向き合う、精神の修行。
そして、自分の強さを知る、絶好の機会。

ヒッチハイクをしていると、気付かないうちに自分本位の感情が膨れ上がってきます。
初日にヒッチハイクをはじめた当初、全然車を止めてくれる人がいなくて、「なんで誰も止まってくれないの?」って思ってました。
うまくいかない原因を他人(ひと)に求めて、「なんで相手は~」って、勝手に他人(ひと)のせいにしようとする。
ヒッチハイクをしようと決めたのは他ならぬ自分なのに。

そして、しんどいと言って座りこむまちゃをみて、「なんでわたしばっかり頑張ってるの!」ってイライラする。
「わたしばっかり~」ってひがんでしまう心が出てくる。
まちゃだって、同じくらい頑張ってくれているのに。

いやいや、そうじゃない。
途中ではっと気付いて自分に問いかけます。

「自分でやると決めたヒッチハイク。うまくいかないのを他人(ひと)のせいにしていいの?」
「誰に強制されてるわけでもない。しんどかったら休めばいいだけじゃない?」

そんな会話を自分自身としながら、ともすれば責任転嫁してしまう自分の弱いところと向き合って、
「もうちょっと頑張れる」「自分で決めてやってるんだから」って自分の意志を確認していました。

また、先に書いたように、「きっとうまくいく」という直感を信じて進むこと。
諦めかけているまちゃをうまく鼓舞しながら(うまく、ではないか・・・笑)、引っ張られずに頑張れること。
自分たちを拾ってくれた方、はじめましての方との出会いを大切にコミュニケーションを楽しむこと。
そんな自分の強みも再確認できたと思います。

ヒッチハイクをしていると、自分の良いところも、悪いところも、弱いところも、強いところも、全部クリアにみえてきて、しんどいけれど面白いです。
そして、学ぶことがめちゃめちゃあります。ヒッチハイク、やってみて良かった。
一風変わった自己分析をしたい人には、ヒッチハイク、お勧めです。
(もちろん、場所や時間を考えて、自分の身の安全を第一に!)

アンテロープキャニオン
人が少なくて、ゆっくり観れた。アリゾナ観光は冬が狙い目!


というわけで、今までにない貴重な経験をさせてもらったヒッチハイク。
旅の間だけでなく、帰国後もちょくちょくやってみたいと思っています。

では、また!
はるみ
<記事>2015年12月 アメリカ合衆国 アリゾナ州 ナバホネイション
<現在地>ミャンマー ピンウールィン 

こんにちは、まちゃです。

暑すぎたマンダレーからピンウールィンという町に移動してきました。
ここピンウールィンは高原の町で、イギリス植民地時代から避暑地として人々が訪れてきた場所だったそう。
確かにこの町に近づくにつれ、外の空気が澄んでいき、自然の空気に変わってくるのがはっきりわかる。

着いてみると、涼しいし緑も多いし、日本で言ったら軽井沢みたいな感じでしょうか。
今泊まってる宿も、約100年の歴史があるコロニアル調の洋館ホテルで、とてもステキ(宿代も安かった!)。
あたくし、もう気分はすっかり文豪です。
執筆に集中するために軽井沢の別荘にやってきた文豪です。
ということで、数日ここで滞在して、ブログ執筆にも取り組んでまいりたいと思う所存です。

さて、今日からまた時間が前後しますが、何回かに分けて、昨年12月ごろ滞在したアメリカ、アリゾナ州でのお話を書こうと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

突然ですが、みなさんは、「虹の戦士」というお話をご存知でしょうか?
それは北米先住民族の間に伝わるお話。

『地球が病んで、動物たちが姿を消しはじめる時、まさにそのとき、みんなを救うために虹の戦士があらわれる』、
というお話です。

このお話には、部族によって色んなバリエーションがあるらしくて、もっと長い話もあります。

僕は、北米先住民族の精神や物語が大好きなのですが、その中でもこのお話は一番好きな話です。
この話を読むと、未来の世界に何となく希望を感じることができます。

このお話のことをもっと知りたい、という方は、北山耕平さんという方が翻案をされた「虹の戦士 Warriors of the Rainbow」という本が太田出版から出ているのでぜひ読んでみてください。

虹の戦士
「虹の戦士」の本。ずっと持ち歩いて旅してます。

その「虹の戦士」の本の中から、印象的だった文章を少しだけ紹介させていただきます。

『地球が病んで、動物たちが姿を消しはじめ、人々が健康を失って愚かな振る舞いを始める頃、つまり、地球の変化が激しくなって「偉大なる浄化の時」が始まると、伝説や、物語や、古い教えや、儀式や、神話や、太古の部族の風習などを、しっかりと守り続けてきた者たちの時代が到来する。』

『虹の戦士とは、自分が好きになれるような世界を作るために、なにかを自発的に始める人たちだ。正義と、平和と、自由に目覚め、偉大なる精霊の存在を認める存在。日本列島は、母なる地球は、その人たちの到来を必要としている。』

『愛と喜びをみんなの間にひろげることだけが、この世界の憎しみを理解と優しさに変えることができる。』


これって、まさしく今の時代のことを予言しているような気がします。
僕が初めてこの本と出会ったのは、この旅で最初に訪れた国、タイのパーマカルチャーファーム・タコメパイに滞在したとき。
本棚の奥にホコリだらけになって、眠っていたのを見つけて読み、すごく感銘を受けたので、そのままもらってきました。
以来、この本とずっと一緒に世界を旅していて、今でも時々読み返しています。

と、いうこともあって、今回の旅では、ぜひ北米先住民族の暮らしも訪ねてみたいなぁ、とずっと思っていました。
そして、実際に2015年の12月、僕達はアメリカ・アリゾナ州のナバホ・ネイションを訪れ、ナバホ族の家族のおうちでホームステイさせてもらうことになりました。
ちなみにナバホ・ネイションとは、アメリカ合衆国のアリゾナ州、ユタ州、ニューメキシコ州にまたがって位置する、ネイティブアメリカンの準自治領のことです。

ナバホ族の「虹の戦士」に出会えたらいいなぁ、とそんな気持ちもありながら、僕たちはナバホ・ネイションへやってきたのでした。

しかし、ホームステイさせてもらった家庭での暮らしは、かなり現代的で消費的な生活、いわゆる伝統的なナバホ族の暮らしとは大きく違うものでした。
「虹の戦士」のお話の中で描かれるようなスピリットとともにある暮らしは、そこでは経験することができませんでした。

とはいえ、お世話になった家族は、みな仲良しで、いい家族だったし、そういうギャップがあることは、行く前から予想もしていました。
ナバホファミリーでの滞在は期待するものとは少し違ってはいたけれど、同時に大切なことを再確認することができました。

それは次のようなこと。

「虹の戦士」のお話は、決して北米先住民族だけのための話ではない。
国籍や人種や宗教などのあらゆる違いも関係なく、誰もが「虹の戦士」になりうる存在だということ。
そして、北米先住民族に会いに行かなくとも「虹の戦士」には世界中どこに行っても出会うことができる、ということ。


「虹の戦士」の本の中にも、

『重要なのは血ではなくて生き方だ』、とあります。

また、

『われわれは、もし望むなら生き方そのものを変えることができる』、とも。

日々の暮らしの中で感じた違和感と向き合い、それを本気で変えるために、行動を始めた人は皆、「虹の戦士」だと言えるのでしょう。
僕たちも、この旅の中で、「人にも自然にも負担をかけたくないなぁ。」と心から実感することが、たくさんありました。
そしてその実感が、自分達の暮らし方を本気でステキにしたい!という想いをさらに強めました。
あとは、ただただ想いをカタチにしていくだけです。

今回の旅で、試行錯誤しながらも、「自分が本当に望む暮らし」をカタチにし続けている人々にたくさん出会うことができました。
彼らは皆、「自分が好きになれる世界を作るために何かを自発的に始めている人たち」でした。

僕達の、「世界のステキ暮らしを訪ねる旅」は、まさに「世界の虹の戦士と出会う旅」だったなぁ、と感じています。

北米先住民族の間で語り継がれ信じられてきた、「虹の戦士たちの到来」は、今、着実に、そして同時多発的に、世界中で起こっています。
僕達も、そんな虹の戦士たちのあとに続きたい!と思います。

僕はぜひとも、今回の旅で出会った虹の戦士たちと、今後も継続的にコミュニケーションをとり続けたい。
互いの暮らしの拠点を行き来したり、情報を交換したりしながら。
そんなことを考えながら、少し先の未来に想いを馳せて、僕たちはいつもワクワクしています。

そして日本に帰ってから、日本の虹の戦士たちと、もっともっと出会って、繋がっていくことも、すごく楽しみにしている。
虹の戦士は世界中どこにでもいる。
もちろん日本にもたくさんいるはず。
あぁ、はやく帰国したい。

アリゾナの夕日
ホームステイ先でいつも見ていた夕日。とても幻想的だった。

最後になりますが、もう一つだけ言っておきたいこと。
それは、出会ったナバホ族の人たちはみんな素晴らしく優しい人たちだったということ。
困っている人がいたら助けるっていうことが、驚くほど自然に出来る人たちでした。
僕は、彼らの優しさに何度も心が救われました。
特にヒッチハイクをした時に、そういうことをよく感じました。
その話はまた次回にしたいと思います。

ではまた!
まちゃ
<記事>アメリカ合衆国 オレゴン州ポートランド
<現在地>オーストラリア メルボルン近郊

こんにちは、まちゃです。
今回は、ポートランドのお話の最終回です。

僕たちは、ルーシー&ポールの家でしばらくお世話になったあと、ポートランドのノースイースト地区に住む次のホストのところで2週間ほど滞在させてもらいました。
次のホストは、ロイ&キムという60代のご夫婦。
ロイ&キムは1884年に建てられた歴史ある家を自分たちで、修復して住んでいます。
そして、現在も1890年建造の別の家を、人に貸すために修復中で、僕たちはそのお手伝いをさせてもらっていました。
僕たちも、自分たちで古い家を直せるようになりたいと思っているので、今回の滞在では「少しでもDIYスキルを高められたらいいな」と思っていました。
そして実際にロイ達からは、ポートランダーならではのDIY精神やシェアの精神など、たくさんのことを学びました。


最初、ロイ達の住む家に着いて、まずその家の凄さに驚かされました。
ビクトリア王朝時代に建てられた当時の趣を、出来るだけ忠実に再現して修復されたロイの家。
それは来る前の想像をはるかに超えていました。

ヴィクトリアン・ハウス
1884年建造のおウチ外観。

まるで美術館か博物館のような家!
というか、もはや家そのものが美術品という感じ。
家に置いてある家具など、細かなところにもこだわりが宿っている。

ダイニングルーム
家に入ればそこは別世界。

オーブンとコンロ
アンティークなオーブンとコンロ。キッチンも可愛かった。

「ここが君たちの寝る部屋だよ。」と通された部屋もやっぱり凄かった。

寝室
この部屋で寝させてもらっていました。

「こんなところで寝ていいんですか」、という感じの僕たち。
いかにもバックパッカーなスタイルの僕たちとはギャップがありすぎる気がして、最初のうちは、家の中では何を触るにも緊張してしまうほどでした。


さて、そんな風に始まったロイ&キム宅でのステイ。
二人ともとっても気さくでいい人たちでした。
二人は日本にも何回か行ったことがあるそう。
彼らには二人の息子さんがいて、幼い頃から日本語を習っていたらしく、その関係で日本で息子さんたちと一緒にホームステイしたり、旅行したりしてたとのこと。

そして近々、下の息子さんは大学を卒業して、日本で英語を教えながらしばらく住むつもりだとか。
その時は、ぜひロイ&キムにもまた日本に来てほしい。
そして僕たちのところでホストさせてもらいたい。
そうやって、今回の旅でお世話になった人たちに、いつか自分たちの家に来てもらいたい、というのも僕たちの妄想の一つ。
数年後は日本のどこに住んでるかわからないけど、ぜひ僕たちの暮らしを見に来てほしい。


旦那さんのロイは、長年勤めていた電気関連の会社を引退して、今は1890年建造の別の家の修復に日々取り組んでいます。 
この家の地下階の修復はすでに終わっていて、2人の人がその部屋を借りて住んでいます。

家、修復中
現在、修復中の1890年建造の家。約3キロも離れたところから、現在の場所までトレーラーで移動させてきたとのこと。

奥さんのキムは普段、地元のリカーショップで働いているので、滞在中はロイと3人で過ごす時間が多かったです。


さて、僕たちが滞在中、主に手伝わせてもらったのは修復中の家の外階段の欄干作り。

欄干作成中
これが欄干部分になる。組み立て、塗装、取り付けまでの全ての作業を経験させてもらった。

といっても、僕たちはDIY初心者。
電動の大工道具なんかも、今回初めて使うものが多かった。
ロイはそんな僕たちに、道具の使い方や、家を直すときの心構えなど、一つ一つ本当に丁寧に教えてくれました。
ロイは、僕たちにとって、まさに「DIYの師匠」のような存在でした。

共同作業
作業風景。はるもDIY女子デビュー!

作業場
色々な道具の使い方を教わった。

ペインティング
塗装中。木目と継ぎ目にそって、きれいに仕上げる。

家の修復にかける、ロイのこだわりは凄い。
例えば1890年当時に一般的に使われていたドアや手すりと、現在の家のそれらとではサイズが違う。
でも、ロイは当時の家の雰囲気をそのまま再現したいから、わざわざ当時のものと同じサイズのアンティーク品を探しだしてきて使っている。
なければ、既製の資材を採寸し直して、いちから自分で作っちゃう。
僕だったら、「まぁいいか。」と、適当にやってしまいそうだけど、そこを一つ一つ妥協せず、こだわりぬくところが凄いな、と。

また色々なことを教えてもらいながらも、印象に残ったのは、ロイのホストとしての姿勢。
ロイは作業中、「特にやりたいこと、学びたいことがあれば言ってね。」、「僕のやり方が絶対というわけではないから、他にアイデアがあればどんどん言ってね。」、「逆にやりたくないことだったら、やりたくないと言ってくれればいいから。」といつも言っていました。
そう言ってもらえることって、僕たちとしては、すごくありがたいこと。

僕たちは普段、workawayっていうウェブサイトを使ってホームステイやファームステイのホストを探すことが多い。
workawayの仕組みは、wwoofに似ている。
ホストの家の仕事(農作業とか、家事とか、ベビーシッターとか家によって様々)を1日数時間手伝う代わりに、寝泊りと食事を提供してもらえる。
お金もかからず、現地の暮らしに入っていけるから、すごくいい。
wwoofと違って、一度の登録で世界中の地域からホストを探すことが出来るし、ファーム以外のホストもいるから、多様な経験が出来る。

でもworkawayにしても、wwoofにしても、中にはこちらの意見は一切聞かず、一方的にホストのやり方を押し付けるだけだったり、ただの労働力として人を受け入れているだけだったり、一緒に作業することも無くボランティアに仕事を全て任せきりだったり、そんなホストもいる。
ホストそれぞれのやり方の違いだとは思うけど、僕たちは、そういう環境では強いストレスを感じてしまうことが今回の旅でよくわかった。
僕たちもいつかは旅人を受け入れる側になりたいんだけど、ホストとして、ロイのような心や姿勢をいつも忘れずに持っていたいな、と思う。


そんな「DIYマスター」、ロイのおかげで、僕達もDIYスキルをちょっとだけ上げることが出来た。
ところでポートランドでは、この「DIY」がかなり一般的な文化になっているようでした。
例えば、なんとなく家の近くを散歩していたら見つけた「リビルディング・センター」というお店。
ここでは、寄付された家具や廃材が安く売られていて、DIY好きのポートランダー達が掘り出し物を求めて、たくさん訪れます。

リビルディング・センター
リビルディング・センター。「DIYの聖地」として有名なんだとか。

家具・廃材たち
掘り出し物が見つかるかも。

僕達も、たまたまここを見つけたときは、「何か買って行きたい!」、「このお店、日本にもあればいいのに!」と、とても興奮しました。


さてさて、家の修復作業でDIYを教わる他に、ロイには色々なところに連れて行ってもらいとてもお世話になりました。

ロイとハイキング
ハイキングにも行きました。

滝だらけ
今だけ季節限定の滝。360度あらゆるところから滝が流れていた。

そうやってリアルなポートランドをあちこち見せてもらう中で、「これはポートランドらしいな!」と思わされる場面がいくつもありました。
特に感じる機会が多かったのは、ポートランダーの持つ「シェアの精神」。

例えば、修復作業に必要な道具を借りに行った「道具のライブラリー」。
ここでは、まさに図書館のように、DIY作業に必要な大工道具などを借りることが出来ます。
市民ボランティアによって運営されていて、週2回開かれるこの「道具のライブラリー」。
揃えようとすればかなりの出費になる大工道具や庭仕事用具だけど、これならお金をかけずに、誰でも気軽にDIYをはじめられます。
道具の使い方や、必要なスキルも相談すれば教えてくれるようです。
これはぜひ日本にも持ち帰りたい仕組み。

道具のライブラリー
大工仕事から庭仕事まで、あらゆる道具がそろっていた。

住宅街で見ることが出来る、交差点に描かれたアートも面白い取り組みでした。

交差点アート
普通の住宅街に突然現れる。交差点アート。

これは「シティ・リペア」というNPOによるもの。
人が居心地よく過ごせる街づくりの一環として、交差点の地面に絵を描くという活動をしている。
もともと住宅街には地域の人々が気軽に集まれる場所が少なかったので、交差点という場所を活用できないかと考えたのが始まりだそうです。
道路は市のものだし、活動当初は市からの許可がなかなか得られなかったらしい。
けど、実際にやってみたら、走る車がスピードを落として事故が減るし、人々が集まって、地域も明るい雰囲気になるという効果があった。
ということで、今では市からも認められ、この活動が広がっているようです。

街角ライブラリー
絵だけじゃなく、手作りのベンチや小さな本棚が置いてある所もありました。本は自由に持ち帰れる。

そうやって本来は市のものである道路を、人々の交流の場所として住民が活用したり、みんなが読める本棚を道に置いてみたり。
こんなとこにもポートランダーの「シェアの精神」が感じられました。

「シェア」はステキ暮らしのキーワードの一つ。
今まで、個々で所有していたものをみんなで共有していくことが、これからはどんどん当たり前になっていくのかもしれません。
僕たちも暮らしを始めたら、「みんなが見に来れる小さな図書館を家でやりたい」とか、「アウトドアキッチンを作ってご近所さんとシェアキッチン、シェアご飯をしたい」とか色々妄想しています。

みんなの道具倉庫
ロイの家では、庭仕事の道具倉庫を開放して、ご近所さんとシェアしていた。


また、ローカルな暮らしとは、正反対のイメージがあるファーストフードのお店に連れて行ってもらったときも、ポートランドらしさを感じることが出来ました。
僕たちが行ったのは、バーガービルというファーストフード店。
見た感じは、一般的なファーストフードチェーンのお店とあまり変わらないのだけれど、中身が違う。
ここでは、出来るだけ地元の食材を使ったメニューを提供している。
季節毎に地元でとれる果物を使ったシェイクがあったり、地元産のチーズやお肉を使ったバーガーがあったり。
うーん、何だかとってもポートランド。

ロハスなタウンのシェイク
期間限定のチョコレート&ヘーゼルナッツ・ミルクシェイクをオーダー。ナッツもミルクも地元産。

そんな感じで2週間の滞在中、ロイ&キムには、リアルなポートランドの暮らしの色々な側面を見せてもらったのでした。


最後に、ロイ&キムが作ってレシピを教えてくれた、「これぞアメリカ!」な食べ物を紹介します。

キムのブラウニー
キム直伝のブラウニー。小麦粉を3回振るうのがポイント。アイスをのせて食べちゃう。

アメリカン・パンケーキ
アメリカ流ふわふわパンケーキ。甘いメープルシロップをかけて、カリカリベーコンと一緒に食べるのが正しい食べ方。慣れると美味しい組合せ。

ロイのシナモンロール
ロイが早起きして朝食に作ってくれたシナモンロール。とても甘い。

どれもカロリーは高めだが、ここでは太ることを気にしたりせず、アメリカンな気分を存分に満喫させてもらった。
ここでの滞在中は、実際少し太ったと思う。


というわけで、ロイ&キムやルーシー&ポール達のおかげで、大好きな街になったポートランド。
そこには、ステキに暮らすためのヒントがたくさんありました。
またいつか帰ってきたい場所です。

ではまた!

まちゃ
<記事>2015年1月アメリカ オレゴン州ポートランド
<現在地>オーストラリア メルボルン近郊

こんにちは、まちゃです。

今回も引き続き、ポートランドについてです。
ここ数年、何かとメディアに「オルタナティブタウン」や「アメリカで最も住みたい街」として取り上げられることの多いポートランド。
でもこの広いアメリカで、一体なぜこんなにポートランドばかりが取り上げられるのか。
ポートランドの何がそんなに人を惹きつけるのか。
今回のポートランド滞在中、僕なりにその理由を見出したいと思いながら、過ごしていました。

約1ヶ月滞在してみた結果、見えてきたことは「ポートランドって鎌倉みたいだな。」ということ。
実際、ポートランドの街を歩きながらも、「あ、ここって鎌倉のあそこにそっくりだな。」と思う瞬間がたくさんありました。
鎌倉も日本の中では、「住みたい街」として名前がよくあがる場所のひとつだと思います。
そうやって「ポートランド≒鎌倉」という視点で見てみると、ポートランドが人々を惹きつける理由が僕にはすごくわかりやすかった。

ということで、実際に滞在して見えてきた「ポートランドと鎌倉の10の共通点」をまとめてみました。
中には、ちょっと強引なのもあります笑。
だけども、その先には、「魅力ある街とはどんな街なのか」、そのヒントがきっと見えてくるはずです。

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1.街と自然が近い

ポートランドでは豊かな自然がとても身近にあります。街から歩いていける範囲にも、ハイキングコースがあったりして、散歩している人も多かった。
そのへんがすごく鎌倉に似てる。

僕たちもポートランド滞在中は、何度かハイキングに連れて行ってもらいました。
中でも特に僕が「ここ鎌倉みたい。」と思ったのは、ルーシー&ポールと行ったワシントンパークという公園。
僕の印象では、ワシントンパークは、鎌倉の源氏山公園みたいなとこだった。
どちらも街の中心から近いけど、気持ちいい自然に囲まれることができて、散歩にもちょうどいいハイキングコースがある。
僕らも鎌倉生活の時は、日常的に源氏山公園で散歩していました。
自然が近いという点で、二つの街が違うのは、鎌倉は山だけじゃなく海も近いというところでしょうか。

滝ハイク
冬のハイキングは水が豊富で美しい。

ポートランドリス
街にリスが多いところも、鎌倉に似ていた。


2.食へのこだわり

ポートランドは食のメッカとしても有名です。
こだわりのレストランが集まっていたり、市内の地ビール醸造所の数も世界トップクラス。
またポートランド近郊には、こだわりを持った農家がたくさんいます。
ファーマーズマーケットも多いし、農家から直接、安心・安全な食材を買うことは、ポートランドではかなり一般的。

ちなみに、僕たちもルーシー&ポールの友達のネイセンがやっているポートランド近郊にあるファームを訪問させてもらいました。
ネイセンは、食肉用の羊や豚やウサギを育てています。
ネイセンのファームでは、動物たちが、自然で健康的な環境で過ごせるように育てられていました。

羊たちと触れ合う
そこは我々人間にとっても、気持ちがいい環境だった。

ところで僕たちは今までの世界の旅の中でベーガン(卵や乳製品を含む一切の動物性食品を食べない菜食主義)の人たちにもたくさん出会いました。
彼らがベーガンになることを選んだ大きな理由の一つとして、「現代の畜産業では、動物たちがあまりにもひどい生育環境におかれているから。」というのがありました。
彼らのそういう気持ちは僕も良くわかります。
でも僕たちとしては、ネイセンのファームのように、出来る限り、自然に、健康的な環境で、愛を持って育てられた動物たちの肉であれば、美味しく戴きたいと思っています。
だから、こうして生産者とつながって、ファームの様子を見せてもらったり、どんな想いを持ってやっているのかを聞かせてもらうことは、とても意味があることだと感じます。

さて、話を戻します。
ポートランドと鎌倉の共通点。
鎌倉も実は、食へのこだわりは強い街です。
僕たちも鎌倉生活してた時は、こだわりの魚屋さんやパン屋さんや商店を発掘しては、できるだけ良い食材を選ぶようにしていました。
ここで僕たちが指す良い食材というのは、地元産、できたて、自家製、新鮮、無添加・・・といった観点から、自分たちが納得して購入するものという意味です。
それから鎌倉にも良いファーマーズマーケットがあります。
それは駅からも近い「鎌倉市農協連即売所」というところ。
鎌倉近郊の畑で育てられた新鮮でおいしい野菜を、農家から直接買うことが出来ます。
ここの野菜は「鎌倉野菜」とも呼ばれていて、地元でもとても人気があります。
鎌倉だけじゃなく都内のレストランなんかからもシェフが買い付けに来るらしい。
こういう食へのこだわりが、とてもポートランドっぽい。


3.個人経営のお店が愛されている。

ポートランドの街を歩いていると、他の街同様、グローバルなチェーン店も普通にあります。
だけど、それだけじゃなく、個人経営のこだわりのカフェや、雑貨店、書店、・・・などもたくさん目にすることが出来ます。
なんとなく歩いているだけで、「あ、ここなんだろう?」と、ついふらっと入ってしまうステキなお店に出会えます。
そういうところにまた鎌倉と似た部分を感じました。

パウエルズ・ブックス
ダウンタウンのランドマーク的存在、パウエルズ・ブックスも独立系書店。鎌倉で言えば、・・・島森書店かな。


4.公共交通機関が発達している。

ポートランドでは、バスや電車などの公共の交通機関が発達しています。
車を持っていなくても、簡単に街の中を移動することができるのです。
乗車運賃も安いし、便数も多く、遅延もほとんどない。
これは僕たちが今回訪れたアメリカの他の街ではあまり見られなかったこと。
例えば、アリゾナ州のいくつかの街やラスベガスなんかにも行ったけど、どこも車がないと、ちょっとした買い物をするのさえ大変。
そういった点でポートランドは確かに住みやすそうだなと思いました。
ちなみに、昔はポートランド市民は無料で市内の公共交通機関を使えたそうです。
今は財政状況も関係して、誰でも支払いが必要となったようですが。

ちなみに鎌倉でも、僕はあまり使わないけど、公共交通機関はよく整備されていると思います。
江ノ電もありますし。ただ江ノ電の運賃はちょっと高いと思う。安かったらもっと気軽に乗れるんだけど。

トラム
ダウンタウンを走るトラム。まるで江ノ電?


5.街の大きさがこじんまりとしている。

ポートランドのあるオレゴン州では、1973年に都市部と農地や森林などの土地利用を区分する「都市成長境界線」を導入しました。
境界線の外側では、住宅や商業施設などの開発が制限されています。
これにより、自然環境を保全すると同時に、都市部では、機能が集中した効率的な生活が営めるようにしたのです。
実際に街の境界線から出ると、急に建物が無くなって、風景が一気に変わります。
ポートランドの街自体も、こじんまりとまとまっていて、いいなと思います。
ただこのことが、前回記事にもあったような、地価の高騰や、交通渋滞、大気汚染の問題などにつながっている部分もあるので、それが良いことばかりとは言い切れないようです。
<参考記事>Portland's toxic air

ちなみに鎌倉もこじんまりした街です。


6.歴史ある古い建物を大事にしている。

ポートランドでは、古い建物を直して住んでいたり、文化的・歴史的施設として一般に公開していたりするのをよく見かけました。
僕たちもルーシーの次にお世話になった家では、1890年代の古い家をDIYで直すお手伝いをさせてもらいました。(その話はまた次回書きます。)
このへんがまた、とても鎌倉に似ています。
鎌倉には古い神社やお寺などがたくさんあるのは言うまでも無く、古民家をリノベーションして使っているカフェやレストランなども多い。
僕たちが鎌倉で住まわせてもらっている家も、祖父が住んでいた古民家を父がDIYで住めるように直してくれたもの。
ポートランドも鎌倉も、現代の新しい文化の中に、古いものが大切に残されているところがステキだな、と思います。

ポートランド古民家
こういう趣きある古い家が、たくさん残されている。

7.多様な価値観や世代を受け入れる懐の深さ

ポートランドというと、メディアの影響もあってか、なんとなく若者が集まる街というイメージがあります。
確かに、クリエイティブな働き方やオルタナティブな暮らし方を求める若者が集まってきている街だとは感じました。
でも、ポートランドは、若者だけじゃなく、高齢者世代にとっても住みやすい街。
あと、一度住んだら、住み心地がよくて離れられない人たちが多いんだと思う。
ポールの家族も、街の開拓が始まった頃からポートランドに代々住み続けているという家系で、ポールはポートランド以外で生活するなんて考えられないって言ってました。

そして、ポートランドでは、街を歩いていたら色んな人種の人に出会うし、同姓カップルなんかもたくさんみかける。
ポートランドは、そんな風に多様な価値観や世代を受け入れる寛容さというか、懐の深さというのがすごくある。
前のはるの記事にあったように、スーパーの店員さんがすごくパンクなお兄さんお姉さんだったり、マリファナが合法だったりして、一般的にはタブーとされがちな文化さえ、拒むことなく受け入れちゃうというところ、むしろ他とは違っていること・個性的であることを推奨しているところが、すごくポートランドっぽいなぁと思います。
<過去記事>
滞在してみてはじめて知ったポートランドの日常1.ハーブといえば・・・コレ?!
滞在してみてはじめて知ったポートランドの日常2.オルタナティブな暮らしって?

そして同時にそこもまた鎌倉っぽいところ。
鎌倉も多様な世代や暮らし方をする人々に愛されているし、その多様性を受け入れる土壌があるように思う。
そういう土壌があるところから、どんどん面白いムーブメントが生まれてくるんだろうな。


8.市民活動が活発

ポートランドと鎌倉、どちらも、住民によるまちづくりや地域のNPO活動が盛んなところが似ています。
お世話になったホストもチャイニーズガーデンや日本庭園作りのNPO活動の集まりによく参加していた。
街に緑を増やすために活動している「フレンズ・オブ・ツリーズ」というNPOなんかもありました。
彼らは、住民が庭に何か木を植えたいと思った時に、そのニーズにぴったりあった種類の木を選んで届けてくれる、という活動をしているらしい。
「実がなる木が植えたい」とか、「子どもが登って遊べるような木を植えたい」とか、様々な要望に応えてくれるそう。

フレンズ・オブ・ツリーズ
散歩していると、よく見かけた「フレンズ・オブ・ツリーズ」の立て札。

そして鎌倉も、市民によるNPO活動が盛んな街らしいです。
以前、雑誌にそういうことが書いてありました。
すいません。これに関しては僕もあまり詳しいことは知らないです。
さて、次、行かせていただきます。


9.自転車に乗っている人が多い。

ポートランドではヘルメットをかぶって自転車に乗って移動している人を良く見かけます。
これもアメリカの他の街ではあまり見られない光景。
街がこじんまりしていることと、自然を愛する人々が多い、ということが自転車利用者の多さにつながっているのかもしれません。
普通自動車のナンバープレートにも通常のものと、自転車のマークと「SHARE THE ROAD(自転車と道をシェアしますよという意味)」という文字が書いてあるものとがある。
自転車マーク入りの方は、通常料金にプラス料金を支払って購入するらしいけど、車に乗っていても「自転車との共生」の意思表示をしているんだと思う。
そんなナンバープレートまであるなんて、感心してしまう。

一方で鎌倉でも自転車に乗ってる人はたくさんいます。学生さんから、おじいちゃん、おばあちゃんまで。
僕たちも鎌倉生活の間、使える車はあったけれど、いつも自転車で動き回っていました。
自転車を愛する街、ポートランドと鎌倉。似てます、ね?
ふぅ・・・だんだん強引になってきたかな?笑


10.天気のいい日に見えるシンボル的な山

天気のいい日には、ポートランドの街からはマウントフッドという美しい山が見えます。
次回、ポートランドに行くときはぜひ夏に行ってマウントフッドに登ってみたい。
それにしてもこの街から見えるマウントフッド、まるで晴れた日に鎌倉の街から見える富士山みたい。
やはりこの二つの街・・・、そっくりですよ、これ。

マウント・フッド
雪をいただくマウント・フッド。富士山そっくり!

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

と、あげようと思えば、いくらでもあげられそうなのですが、キリが無いので、このへんにしておきます。
こうやってポートランドと鎌倉を並べて見てみると、人を惹きつける街には共通する条件みたいなものがある気がしてきます。

今回、ポートランドに滞在してみて、僕が改めて思ったこと。
それは「ポートランドと鎌倉は似てる。鎌倉もポートランドに負けず劣らず良いところだなぁ~」ってこと。
そして「鎌倉もポートランドみたいに、面白い文化を発信していきやすいところ」じゃないかと。
前から鎌倉好きだったけど、さらに好きになりました。
ここ、ポートランドに来れたおかげで。

ということで、日本に帰国したら鎌倉を拠点の一つとして、ステキな暮らし方や働き方、生き方を発信していきたいな、と妄想しています。
一緒に僕たちと面白いこと企んでくれる仲間も募集中です。
<過去記事>
僕たちの妄想~日本に帰ったらしていきたいこと~

ではまた!
まちゃ
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