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<記事>2014年6月 マレーシア サラワク州パカン チャボロングハウス
<現在地>オーストラリア メルボルン近郊

こんにちは、はるです。
ただいまメルボルン近郊の小さなヤギファームでお世話になっています。
久しぶりに落ち着けてます。ゆったりと過ごさせてもらっています。
これを機に止まりに止まっているブログの更新を!!
マレー編最後の記事からの再開です。

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今回のロングハウス訪問は、夫となったまちゃを紹介しに帰ることとガワイを一緒にお祝いすること。
この2つに加えてもう一つ目的がありました。
それは、イバン族のロングハウスの暮らしをまちゃに見てもらうこと。

学生の頃にはじめて訪れたとき、イバン族のロングハウスの暮らしは、わたしの視野を大きく広げてくれました。

一つの長屋に住む十数家族が、一つの大きな家族のように、助け合って暮らしているロングハウス。
子どもは、ロングハウスに暮らす住民全員で育てていく。どの家の子どもかに関係なく、誰もが自分の子ども、兄弟姉妹かのように接して。
まだまだ狩猟・採集のスキルや籠やござなどの民芸品作りなど、先人の知恵が生きていて民族色の濃い暮らし。
自分の身ひとつでも、ジャングルの中で生き延びられるのが一人前のイバンの証。
電気も水道もインターネットも無いのが当たり前、自然の営みとともにあるスローな暮らし。

みんな、よく働いて、よく寝て、よく食べる。
そしてなにより、よく笑う。
みんないつも大きな声でゲラゲラ笑ってる。はじけるような笑顔で毎日を過ごしている。

そんなロングハウスの豊かな生活に、当時のわたしは目を開かされました。
豊かな自然と、愛する家族、先代から受け継いついできたものがあれば、人はこんなにハッピーに暮らせるんだって。

そんなイバン族のロングハウスの暮らしに、これからわたしたちが実現したいステキな暮らしのヒントがたくさん詰まっていると思っていたので、どうしてもまちゃにもロングハウスの暮らしをみてもらいたかったのです。

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はじめて10日間ほどロングハウスで過ごしてみたまちゃ。
結果としては、反応はつれないものでした。
大きな感動もなく、驚きもなく。
「聞いていた話とはちょっと違うくない?」って感じ。

それもそのはず。
ロングハウスの生活環境は、この数年の間に驚くほど近代化し、今や都市部のそれと遜色ないほどになっています。

今では電気が通るようになったので、ほんの数年前まで電化製品はなかったのに、現在では冷蔵庫、テレビ、洗濯機、がある家がほとんど。
若い世代はほぼ一人に一台スマートフォンやi phoneを持っている。
プロパンガスが一般的になって、薪を使って毎食の調理をしている家はもうないと思う。

ロングハウスによってはまだまだ昔ながらの生活をしているところもあるようだけど、このチャボロングハウスはこの数年の間に様変わりしました。
生活が近代化していくにつれて、出費はどんどんかさみます。
今までかからなかった、電気代・ガス代・携帯代などなどを支払うために、現金収入が必要になってきます。
都市部で仕事を持つ家族と、専業農家の家庭では経済格差が大きくなっています。

畑までのみち
畑までの道のり 数年前までは未舗装の砂利道だったけど、今はこの通り

ペッパー収穫
胡椒の収穫のお手伝い

ペッパー乾燥
収穫した胡椒 何日もかけて天日干しする

インダイ(ホストマザー)に連れられて、ロングハウスから一番近い町、サリケイまで買い物に出かけました。
数年前までは、ロングハウスには一台のバンしかなくて、町に出かけるときはみんな一斉にお出かけしていました。
オンボロのバンに、これでもかって言うくらいにぎゅうぎゅう詰めに乗り込み、乗車率はいつも200%。
今では車を所有している家族が急増し、一家に一台とまでいかなくとも、出かけたいときに誰かに頼めばいつでも出かけられるくらいになっています。

今回、買い物に行ったのはスーパーマーケットみたいな大型店。
今までは買い物といえば、ローカル色の強い雑多な市場だったけど、今回はそこには立ち寄らず。
お土産に買って帰るのはケンタッキーのフライドチキン(家の裏に鶏飼っててしょっちゅう捌いてBBQしているのに!)。
食卓に並ぶものも、お店で買った既製品や加工品がどんどん増えてきて、以前はよく驚かされたジャングル産の新鮮な恵み(カラフルなフルーツ、小動物やカエル、ヘビ、昆虫、猪や鹿、アルマジロなどなど)を目にすることが少なくなりました。

イカン
若い衆が川で捕ってきた魚
町暮らしの若い女性は「はじめて見る!」って写真を撮っている


家族体系もかなり変わってきています。
以前にも書いたように、今では労働世代は都市部に生活を移しているから、ロングハウスは過疎化が進んでいます。
生活のために都市部で共働きをしている若い夫婦は、実家(ロングハウス)に子どもを預けて、子供と別居生活を送っていることも。
逆に、都市部に親を呼んで子育てを手伝ってもらう家族も増えているそう。
わたしと同世代の若者たちはほとんどがロングハウスを離れて生活しています。
このまま過疎化が進んでいけば、近い将来、閉じられるロングハウスも出てくるんじゃないかな、と勝手に余計な心配をしてしまいます。

アイスクリーム
月に何度かバイクでロングハウスを廻ってくるアイスクリーム屋さん 子どもも大人もみんな大好きなアイス

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日々の暮らしの中で、変わらないものってないと思います。少しずつ、ゆるやかに変化していく暮らしのかたち。
わたしは外から来たから、それらの変化に気づきやすいだけ。
断続的に、断片的にみているから、何が変わったのかがわかりやすいだけ。

ここで、変わりゆくロングハウスの生活について、偉そうにとやかく言いたいわけではありません。
わたしが目にしている変化なんて全体の極々一部でしかないと思っています。
わたしがはじめてここを訪れるずっと前から、少しずつ進行していた変化のほんの一部を見ているに過ぎません。

ここに限らず、どこの国でもどの地域でも、同じようなことが起きている。

双子ちゃん
大きくなった双子ちゃん それでもまだまだ膝に乗ってくる甘えたちゃんで可愛い

たとえ生活環境が近代化して生活のあり方が変わってきたとしても、ロングハウスの暮らしの中に、守りたい大事なものはまだまだ残っていると思っています。
それは、自然に対する畏敬の念だったり。家族を想う気持ちだったり。
イバン族だというアイデンティティや、祭・しきたりなどの文化や伝統を大切にする姿勢だったり。

今回の滞在でも、そこここにそれらを感じることはできました。
どれだけ近代化が進んでいっても、それらが変わらず大切にされている限り、そこの暮らしはかたちを変えながらも生き続けるんだと思います。

わたしがまちゃに見てほしかった、8年前のロングハウスの暮らしはもうここにはないけれど、
当時わたしが感動を覚えた、イバン族のロングハウスの暮らしに息づく精神を、まちゃも少しでも感じてくれていたらな、と願うばかりです。

以前にも書いた、『暮らしの素地』が感じられる生活。
”何を大切にして暮らしていきたいのか。
誰とどういう時間を過ごしたいのか。”
<過去記事><タイ>なっちゃん家族の心地良い暮らし

都会で住むか、田舎で住むか。どんな環境下で暮らすかに関係なく、これだけはしっかりと押さえておきたい。
ロングハウスの変わりゆく暮らしぶりをみて、また強くそう思ったのでした。

スンガイ キレイ
2006年当時 ロングハウスの前を流れるジュラウ川 シャワーも洗濯も食器洗いもここでしていた

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わたしのホストファミリーには妹サトゥがいます。
はじめて訪れたときは4歳。めちゃめちゃおてんばでどこにでもくっ付いてきたサトゥでした。
13歳となった今は、思春期真っ只中、反抗期の絶頂。
わたしのことも全然相手にしてくれなくて、話しかけてもツンとしていて返事が返ってこない。

2年前に帰ったときも随分大きくなったなぁって思ったけど、それでもあどけなさは残っていてまだまだ可愛い女の子でした。
今ではすっかりお姉さんになっていて、背中まで伸びたさらさらの髪の毛をいつもとかしている少女っぷり。
あんなに無邪気で男の子かと思うくらいにやんちゃだったサトゥも思春期かと思うと感慨深い。

2年ぶりにロングハウスに帰ってきて、サトゥの成長の速さについていけず、勝手にショックを受けていたのが本当のところ。
それでも、サトゥはつれない態度ではありながらも、どこかでわたしのことを気にしてくれているのはわかりました。

インダイがイバン語で何を言っているのかわたしが理解できないとき、習いたての英単語で横からぼそっと口を挟んでくれた。
わたしが作ったご飯を「ジャナッが作ったのは食べないー!」とか言いながら、残しておいたのを後で密かに食べていた。
なんだ、やっぱりサトゥは変わらずサトゥだな、って感じることができて嬉しかったのもまた事実。

2006年 子どもたちと
2006年はじめてロングハウスに行ったとき 無邪気な子どもたちと一緒に

今度ロングハウスに戻ってこれるのはいつになるかわからないけれど、そのときにサトゥがまだロングハウスで暮らしているかはわからないけれど、
またあの変わらないサトゥの笑顔がみられることを願っています。
そして、はにかんだ笑顔で変わらず「ジャナッ!!」って呼んでくれることを。

変わりゆくイバン族のロングハウスの暮らし。
いくらその暮らしのかたちが変わっていっても、ここで暮らす人々の、あの底抜けに明るい笑顔は、いつまでもいつまでも変わりませんように。

はるみ
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(現在地)2016年1月 アメリカ オレゴン州ポートランド
(記事)2014年5月末 マレーシア ボルネオ島サラワク州チャボロングハウス

こんにちは、はるです。
年越しをはさんじゃったけど、マレー帰省のお話の続き!です。

5月31日、6月1日がイバン族の収穫祭ガワイの本番。
それに合わせて日本から二人のマレー仲間が帰省してくれました。
さおりん(スンドゥ)、とみちき(キラッ)。
彼らは本当に尊敬すべき家族孝行な二人で、毎年ロングハウスに郷帰りしているというつわもの。
もう5年くらい連続で欠かさず帰省しているのでは?
普通に日本で働いている社会人だから、予定を調整して有給休暇を使って短期でマレーに帰省する。
当たり前にそれができるフットワークの軽い二人が大好きです。

チャボ ピース
久しぶりの再会 マブアスマイル

マンディマブア
川でマンディ(水浴び)乾杯

収穫祭ガワイ当日(あれ?前日だったっけ?)にハイテンションで到着した二人を笑顔で迎えたんだけど、実はわたしたち二人のコンディションは最悪でした。
すでに約1週間前に到着して、ロングハウス生活を送っていたわたしたち。ガワイ数日前からフライングで飲み始める男衆にあおられて、結構飲んでしまっていたまちゃは絶賛二日酔い、三日酔い中だったのです。
はじめての滞在で免疫のないまちゃに、わたしは事前に釘をさしていました。
「絶対に調子に乗って飲みすぎたらダメ!」
「すすめられても『ミミ(ちょっとだけ)!』って言い続けて!」
「グラスあけたら即座につがれるからあけたらアカン!!」
「長期戦やからペース配分考えて!」って。
もともとお酒は大好きで、かなりいけるくちのまちゃ。
酔っ払ってテンションがあがっても、つぶれることなんて今まで見たことありませんでした。

でも、今回はダメだった。あんなに散々、散々忠告したのに。
旅をはじめて約2ヶ月。思ってたよりノンアルコールな日々を送っていて、日本にいるときに比べると明らかにアルコール摂取量は減っていたわたしたち。
久しぶりにグイグイいっちゃって、すぐにやられちゃったのです。

あと、まじで??って言うくらいにちゃんぽんされるのもひとつの原因。
ここで日常的に飲むのはトゥアという、現地のお米イバン米からつくる自家製のどぶろく。
甘かったり、ちょっと酸味があったり、家によって味は様々で飲みやすいからどんどんいけちゃうやつ。
あと、ランカウっていう蒸留酒。
これもお米からつくるんだけど、アルコール度の高い焼酎みたいなので、ちょっと特別感があるもの。
これらに加えて、ビール、若い衆がお土産で持って帰ってくるワインやウイスキーやブランデー、あとよくわかんない安物の中国産のお酒などなど。
ありとあらゆるアルコールをちゃんぽんして飲みまくる。

この飲み方、かなりタチが悪くて一気に悪酔いする。まちゃはこの乱れ飲みに見事にノックアウトされちゃいました。

わたしはというと、珍しく体調を崩していました。突然の熱発に吐き気と下痢で寝るしかできなかった。
はじめはなんでなのか原因がわからなくて、まちゃも心配してくれてたんだけど、そんな様子をみて、ロングハウスの他のみんなは「つわりだ!!ジャナッ、妊娠だ!!」ってめちゃめちゃからかってきて。
しんどいのに、みんなゲラゲラ笑いまくっちゃって。
いや、本気でしんどいからっ!何でみんな笑ってんの?ってわたしは一人泣いてました。

後からわかったことは、ちょうど同じ時に実はインダイ(お母さん)もお腹をくだしていたという事実。
多分、二人で魚を料理したときに水道の水が急にとまってしまって、キレイに手や調理していたものを洗えなかったのがよくなかったんだと思います。加熱調理後のご飯を食べたまちゃもアパイ(お父さん)もなんともなかったけど、台所にたっていたインダイとわたしは見事にお腹をやられちゃった。

インダイ、自分もお腹やられてるのにそんなことは一言も言わず「ジャナッ!妊娠だっ!」って一緒になって笑って騒いじゃって。ほんと意地悪なんだから。
これも今となっては笑える思い出なんですけどね。

そんなわけで、コンディション最悪だったわたしたち二人。
ガワイ本番はかーなーーーり、おとなしくしていたのでした。
おまけに、ご近所のダガンロングハウスのジェームスが朝早くから迎えに来てくれて。
「ジャナッ!チャボは今年喪中だから、うちに来い!!にぎやかなガワイを見に来い!!」って親切に招待してくれたんです。
久しぶりにダガンにも行けて、美味しいご飯をご馳走になって嬉しかったんだけど。
まちゃは反省をいかして、お酒をすすめられても全然飲まなかったし(笑)残念というか、なんというか、ガワイに似合わない過ごし方をしてしまったのでした。

ダガン2
おじゃましたダガンロングハウスで

とはいっても、やっぱり飲んだくれ祭ガワイ。ダガンでのしばらくの自粛時間を経て復活したあと、チャボに戻ってからはさおりんとみちきと一緒になって、エンドレスでワイワイやりました。
まだまだお子ちゃまだった若いメンツとも、一緒にお酒を飲めるなんて(って当時からもちびっこながらに飲んでたけど・・・)嬉しかったな。
例年のように、伝統衣装と伝統音楽で夜通し踊ったり、運動会やカラオケ大会みたいなイベントタイムはなかったものの、それぞれの家をはしごして、一緒に飲んで、おしゃべりして、飲んで飲んで、飲まれて飲んで。
たくさんのお客さんを入れかわり、立ちかわりもてなしながら、イバンスタイルのお酒の時間を楽しんだのでした。

ガワイご飯
ガワイご飯

皿洗い
宴会の裏では、次から次へと終わらないお皿洗い

チャボ村長さんの愛孫たちのお誕生日もみんなで祝えたし、喪中ながらも静かなガワイを楽しめてよかったよかった。
今度、郷帰りするときは子連れで帰りたいな。
これ、新たな夢の一つです。

ガワイ誕生日
ガワイキッズたちの合同お誕生日会

ガワイみんなで乾杯
みんなで夜通しエンドレス乾杯

さおりん、写真ありがとーう!
みちき、さおりんはじめマレー仲間なみなさま、帰国したらまた大マブア会しようね。

はるみ
(記事)2014年5月末 マレーシア ボルネオ島サラワク州パカン チャボロングハウス

こんにちは、まちゃです。

2014年の5月末から滞在したマレーシアのイバン族のところで、僕は生まれて初めて、豚の屠殺を経験しました。
といっても実際に手を下したのはイバン族のおじちゃんで、僕は暴れる豚の足を押さえていただけですが。
しかし、それでもこの経験は自分にとってかなり大きいものでした。

以前モンゴルに行ったとき、羊の屠殺を見たことはありましたが、そのときは刃物は使わず、手で血管を押さえて静かに絞め殺すような感じで(記憶があいまいですが・・・)、あまり羊を屠殺したという実感がありませんでした。

今回はもっと見た目にもショッキングな屠殺でした。暴れる豚の足を大人の男何人かで押さえておいて、一人が大きな刃物で泣き叫ぶ豚の首を切断するのです。
喉を切られた瞬間、あんなに泣き叫んでいた豚の大きな声がかき消され、血が噴出し、首が体から離れた後も、しばらく豚の体はバタバタ動き続けていました。
命を奪ったという実感が、羊の屠殺を見たときよりもずっとリアルに迫ってきました。

バビ屠殺前
屠殺直前。このあと大きなナイフで首を切り落とします。

かなり衝撃的でした。
そのせいか、その夜は久々に悪酔しました。悪酔いして、床に寝転びながら、豚の首が切られた光景を思い出し、「バビー!バビー(イバン語で豚の意)!」と僕は泣き叫んでいた気がします。

イバン族の人にとっては、自分たちで食べる豚を自分たちで育てて、自分たちで殺して、食べるのは当たり前のことです。
殺した後は、豚の体全部を無駄なく戴きます。
日本の都会で生まれ育った自分にとっては、そういうことは全く当たり前ではありませんでした。
肉はスーパーや肉屋で、食肉として食べやすく切られてパックされたものを目にするだけです。
どのように育てられたか、どのように屠られたかも知らずに、その肉を食べるのが普通です。
そもそも、その肉が、もともと生きた動物であったということに思いが向かうことすらなくなっている気がします。
そうしたことに対する思いや疑問は、もともと自分の中にはありましたが、ここでの屠殺での経験はそんな思いをより強めました。

バビ切り分け中
慣れた手つきで肉を切り分けていく。毎日のようにこの肉を食べていました。

インド独立の父マハトマ・ガンジーは、殺されるのを嫌がる生き物は食べない、という徹底的な菜食主義者だったといいます。
でも僕の場合は、肉が好きだし、今までもこれからも、牛や豚や鳥の肉を食べ続けるだろうと思います。
ただ、自分が食べている肉がどんな風に育てられて、どんな風に屠られたのか、そういうことが見えなくなったら、健全じゃない気がします。
自分が食べるもののことを、もっとよく知っていたい。
自分で食べる動物を自分で絞めるってのが、本来自然なあり方なんだよなぁと思います。
いつか自分でイノシシ猟などをしてみたいという思いが以前はあったのですが、今の自分にはちょっと難しいかもと思いました。
それぐらい豚の屠殺がショッキングだったので。
でもいつか自分で飼っている鶏を自分で絞めて食べたりできるようになりたい。
そういうことが本当の生きる力だと思うから。

ということで、命を戴く、ということについて、とても考えさせられたマレーシア・イバン族の村での経験でした。

まちゃ
(記事)2014年5月末 マレーシア ボルネオ島サラワク州パカン チャボロングハウス

こんにちは、はるです。
今日は第二の故郷、マレーシアのボルネオ島、サラワク州に暮らす先住民イバン族の家族のもとに郷帰りしたお話です。
アップするまでかーーなーーーーり時間がかかってしまいました。思い入れが強すぎると、なかなか記事にしにくいなぁ。

ここは2006年に学生のときにワークキャンプでお世話になって以来、何度も訪れているわたしにとって大切な場所。前回の訪問が確か2012年だったので、今回(2014年5月)は2年ぶりの郷帰りでした。

今回はなんといっても夫まちゃを連れての郷帰り。毎回帰るたびに、「ジャナッ、結婚はいつ?」「相手がいないならこっちで探せ!」「ここに嫁げ!!」と冗談なのか本気なのかわからない猛攻撃にあっていたわたし。いやいや、そのうち相手を連れてきてちゃんと紹介するから・・・って話していたのがやっと念願叶って達成したのでした。
(ジャナッ:Janatというのは、ホストファミリーにもらったわたしのイバン名です。)

いつもロングハウスを訪れる際は事前に誰かに連絡をとって、ロングハウスから2時間くらいのサリケイという町まで迎えにきてもらっていました。でも、今回は自力でロングハウスまで帰ることに。迎えにきてもらってもよかったけど、予定は未定でいつ着くかわからないし、一度は自分の足だけで帰ってみたいという思いもあったので。
まずは、ベトナムはハノイからフライトでマレーシアの首都クアラルンプールへ飛んで、クアラルンプールで飛行機を乗り換え、ボルネオ島のシブまで。そこからサリケイという町を経由して、パカンという最寄りの小さな町までローカルバスで。その先はロングハウスまでヒッチハイク。ヒッチといってもその辺にたむろしていた若者たちがすぐに車に乗せてくれたので、無事に我が家チャボロングハウスに辿り着くことができました。

こうやって書くとなかなか遠い道のりのように感じますが、はじめて訪れたときはもっともっと時間も労力もかかり大変でした。今でこそ地方都市にも空港ができ便利になったけど、当時は州都クチンからスピードボートに乗ってサリケイまで川を遡ること数時間。サリケイからロングハウスまで未舗装のでこぼこ道をぎゅうぎゅう詰めのバンに揺られて3時間、車酔いに耐えながらへとへとになってようやく辿り着いたものでした。雨季で豪雨が続いたときは、道がふさがり車では通れないから、重たいバックパックをかついでジャングルの中、ぬかるみの道なき道を黙々と歩いたもの。近くに空港ができて、道もアスファルトで舗装され、車もたくさん走っているおかげで楽々とロングハウスまで辿り着くことができた今回。便利になった反面、拓かれたジャングル、固められた大地のことを思うとなんとも複雑な気分になっちゃいました。

ロングハウス
ロングハウス 長い家だと、全長100メートル以上にもなる

イバン族はロングハウスといわれるひとつの長屋で数家族から数十家族が共に暮らしています。このチャボロングハウスは14家族から成るロングハウス。2006年にはじめて訪問したときも過疎化(若年層は勉学のため+労働世代は仕事のため村を離れて町へ)が既に進んでいましたが、現在も過疎は進行中。2006年当時まだまだやんちゃな小学生だった子供たちも、一緒にワークをしてくだらない冗談で一日笑い転げていた10代、20代だった若者たちも、現在はロングハウスを離れて都市で生活を送っています。
サラワク州に住む約50万人の先住民イバン族。今では狩猟・採集が主な伝統的な生活を送っている人は少なく、完全に都市部に暮らしを移している家族も多いようです。

今回の訪問は年に一度の一大イベント、「ガワイ」といわれるイバン族の収穫祭に合わせたもの。ガワイは日本でいうお正月みたいな行事で、遠く家を離れている家族みんなが帰省して一家全員、ロングハウス全員が勢ぞろいします。みんながそろうのは一年に一度このガワイのときくらいなのですが、残念ながらこの年はロングハウスの家族の中で不幸があったため、お祭り騒ぎは自粛。そのため、帰省する家族も少なく、久しぶりに再会できると思っていた若者たちには会えずじまいで少し寂しい郷帰りとなりました。
それでも、到着すると「どうやって来たの??」と驚くおばあちゃん、「来るの知ってたよ」って笑うお隣さん、「この人ダンナさん?!シガーッッ!!(カッコいい!)」っておちょくってくるチビッコたち。何といっても変わらないこのにぎやかさと久しぶりに会えた面々にすでにハッピーなわたしでした。とは対照的に、夫まちゃはみんなに囲まれ少々戸惑い気味なのでした(笑)

到着時はわたしのホストファミリーは畑仕事に出ていて不在でした。お隣さん家族に促されるまま、勝手に家に上がりこんで、お決まりの甘い甘いミルクティでひとまずホッと一息。そうするうちに、畑から帰ってきたインダイ(お母さん)とアパイ(お父さん)、部屋にいるわたしたち二人を見て驚きながらも発した第一声は「ジャナーッッ!!ウダ マカイ?(ご飯食べた?)」のいつも変わらない挨拶。久しぶりに帰ってきたにもかかわらず、まったく違和感ないこの感じ。いや、予想してた通り、か(笑)。
あぁ、ようやく帰って来れたなぁ~。ただいま、みんな。
アク ラパール、アク マウ マカイ。お腹へったよ、ご飯食べたい!

スンガイ キレイ
ロングハウスの前を流れるジュラウ川

というわけで、第二の故郷マレーシア イバン族のロングハウスへの郷帰りステイ滞在記。
ロングハウスでの生活、呑んだくれ祭ガワイの様子、など数回に分けて書いていきたいと思います。
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